「選ぶ権利」が医療を壊すとき
医療は「患者の選択を尊重するべきだ」という考え方があります。自分の体に何を入れるかを決めるのは本人だ、というのは直感的にも正しいように思えます。
ところが、この原則がねじ曲がると、むしろ危険な方向に進むことがあります。The New England Journal of Medicineに掲載されたこの論説は、その典型例として「指定献血」を取り上げています。
Jacobs JW, Zite NB, Brown M, Osmundson SS, Sharma D. Legislating medicine — directed donation and the politics of patient choice. N Engl J Med. 2026; DOI:10.1056/NEJMp2602587.
発端は、テネシー州で提出された法案です。手術を受ける患者が「この人の血を使ってほしい」と指定した場合、病院はそれに従わなければならない、という内容です。一見すると患者の権利を守るように見えますが、問題は、そもそも現在の血液供給システムがすでに極めて安全に設計されている点にあります。
現代の輸血は、匿名の献血と厳格なスクリーニングによって支えられています。感染症検査も徹底されており、科学的には「特定の人から血をもらう」ことに安全上のメリットはありません。それどころか、指定献血にはむしろリスクがあります。初めて献血する人は感染症の指標が高い傾向があり、親族からの輸血は免疫反応のリスクを高めることも知られています。
ではなぜ、このような要求が出てくるのか。背景にあるのは、科学ではなく不安です。COVID-19以降、「ワクチンを打った人の血は危険ではないか」といった根拠のない懸念が広がり、それが制度にまで持ち込まれています。実際、ワクチン未接種者の血液を求めることで手術が遅れたり、医療現場に負担がかかったりする事例も報告されています。
ここで起きているのは、「患者の選択」という言葉のすり替えです。本来の患者の権利とは、科学的根拠に基づいた情報をもとに意思決定を行うことを意味していました。しかし現在では、その枠組みから切り離され、「科学的に有害とされる選択を医療者に強制する権利」として使われ始めています。
この変化は輸血医療にとどまりません。ワクチン政策、公衆衛生、さらには生殖医療に至るまで、同じ構図が広がっています。専門家の合意ではなく政治的判断が優先され、医療の中身が書き換えられていく。結果として影響を受けるのは患者自身です。
この論説が強調しているのは、問題の本質が個別の制度ではなく、「科学と政治の関係」にあるという点です。政治が科学を補完するのではなく、置き換え始めたとき、医療は簡単に壊れます。しかもその壊れ方は静かで、「選択の尊重」という言葉で覆い隠されます。
指定献血の義務化は、その一つの表れにすぎません。根拠のない不安が制度化され、医療の判断が法によって縛られる。この流れを放置すれば、エビデンスに基づく医療そのものが形骸化していく可能性があります。
結局のところ、問われているのはシンプルです。医療は誰が決めるのか。科学なのか、それとも政治なのか。この論説は、その境界線がいま崩れつつあることを、かなりはっきりと示しています。
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